木村昇吾 Shogo Kimura
大阪府出身。
尽誠学園で3年夏に甲子園出場。愛知学院大に進学し、遊撃手でベストナインを5度獲得するなど活躍。2002年ドラフト11位で横浜に入団。2007年オフに広島にトレード、2011年は遊撃のレギュラーをつかみ、自己最多の106試合出場で37犠打をマーク。2015年オフに西武に入団。2017年引退し、クリケットに転身。2018年クリケット男子日本代表強化選手団に選出される。現在は、クリケット界の世界最高峰であるインディアン・プレミアリーグ(IPL)での活躍を目指している。
当社は、2019年12月にクリケット挑戦中の木村昇吾選手とスポンサー契約を締結いたしました。海外事業において東南アジア(インドネシア・スリランカ)を中心に投資・事業を展開しておりますが、その中でスリランカ民主社会主義共和国はクリケットの世界ランキング上位の強豪国であり、同時にクリケットの歴史と伝統を持っている国です。スリランカにおける当社の事業パートナーであるSoftlogic Groupも 木村選手の挑戦を応援しており、ビジネスの上でも相乗効果が期待できるのと同時に、スリランカは地政学的に日本政府が掲げているインド太平洋構想の中で重要な位置付けであり、スポーツを通じて日本とスリランカの架け橋になれる木村選手を応援することで、両国の関係強化に貢献できればと考えております。木村選手の活動は「未来への挑戦」と「新しい価値創造」という当社の意思と重なります。そこで今回は、木村昇吾選手と共に「Run WITH THE PARTNER」(=前に進め。共に。)をテーマに対談とインタビューを行いました。
きっかけは、スリランカからきたサムライ。
Q、お2人の出会いのきっかけを教えて下さい。
木村:きっかけは、スジーワというスリランカ人の共通の知人がいたんです。彼はスリランカ人として日本の高校野球の審判員で日本とスリランカの国際ライセンスのどちらも持っています。僕がクリケットに転身した時に日本プロ野球選手会の方からスジーワを紹介してもらいました。彼もスリランカでクリケットをやっていたということで彼に会わせていただいて、そこからスジーワのいる宮崎に行ったり、仲良くさせてもらっている中で、スジーワから「会って欲しい人がいる。」と言われ、それが早川さんでした。
早川:スジーワさんは、内戦があったときから野球をされている、スリランカ野球を代表するような人です。日本のJICA(国際協力機構)から野球のコーチがスリランカに派遣されるのですが、そこで日本の野球の素晴らしさに接して惹かれたようで、「日本の野球は道徳や文化だ」とおっしゃってました。ちゃんと「ありがとう。」と言う(感謝する)し、他者を敬うといった部分などに彼は共感をし、スリランカの野球をこれから発展させる為に、まずは自分が日本の野球を勉強しようと、日本の大学に来ました。その後国際審判ライセンスを取得し、グローバルに活動していました。私は6年前ぐらいにスリランカに行った際に、一番最初に自分の特技である野球をスリランカで生かせないかと思って、スリランカ協会を訪問しました。その時に協会の方から、「スジーワという人間が日本にいるので是非会ってください」と紹介してもらい、帰国後日本でスジーワさんと会ったのが経緯です。私は一時期スジーワさんの「野球の審判になりたい。」という夢を応援させてもらっていました。そういった関係性を持っていて、ある日「今後クリケットが面白くなるのでは?」と思っていたことを伝えたら、彼から木村さんを紹介していただきました。
Q、2人のそれぞれに対しての第一印象をお願いたします。
木村:まず、スジーワが日本人より日本人なんですよ。僕182~3cmあるんですが、僕より身長が高いのに、僕より腰が低いんです。食事した時もスリランカ人そのままの顔で、「お先にどうぞ。」と促さしてくれるとか、お箸配ってくれるとか。そんなスジーワの人柄があり、紹介したいということなので、興味津々で早川さんとお会いしました。会って、会話したことで空気感が似ているものがあるかなと思いました。
早川:木村選手の第一印象は、関西人だなと思いました。よく話をする方だなあと。名前も知っており、目の前にプロ野球選手がいるなという感覚でいました。木村さんはすごく物事を深く考える力のある方だなと思いました。自分の取り組んでいることを論理的にストーリー立てて表現されるので、言葉にすごく重みがあり、表現の仕方がわかりやすかったです。頭の回転が早く、思考できるアスリートは珍しいなという印象でした。
木村:これ恥ずかしいですね。笑
「やりたいことは、やる」という熱意と思いのバトン。
Q、木村選手にスポンサード(協賛)することを決めた一番の要因はなんでしょうか?
早川:熱意です。本気で挑戦する方だなというのが良く分かりました。当社は「挑戦する人を応援するという」企業理念を掲げて取り組んでいます。そういった意味で、ぜひ応援させて頂きたいと思いました。木村選手の熱意が伝わったというのが決め手です。
Q、協賛が決まった時の、木村さんのお気持ちは?
木村:空気感、フィーリング。こういうのって、人と人ですよね。何度かお話をさせていただいた中で、この方(早川さん)は(自分を)ぶつけられる相手だと思いました。同じ熱量を持って接してくれるのではないかと。英語も話せる訳ではないのに、単身でアメリカに乗り込んだり、そういった所が共感できました。僕のことを「熱意のある人間」と言ってくれましたが、僕からしても早川さんは熱意がある人と思いました。早川さんの行動は、見る人にとっては変わった人に見えるけど僕にとっては当たり前のことす。早川さんはやりたいことはやるし、実際にそれをされている方なので理解していただけるだろうなと感じました。初めにお会いした時には自分の思いを全て伝えきれてなかったので、もう一度機会を設けて、僕の思いをちゃんとお伝えできたことが一番大きかったと思います。そこで(僕の思いを)理解していただいて「一緒にスリランカに行きましょう!」と言われた時は、”同士ができた”という感じでした。僕の理想や早川さんの理想がマッチしていた結果だと思うのですが、そういうものも全て繋がっているのかなと思いました。
早川:アメリカの、しかも全く知らない場所に単身で行きました。アメリカの地で野球をしたこと・できたことで、僕の中で一旦夢がここで完結しているんです。その夢の続きを翔吾昇吾さんと一緒に見たいと思ったんです。そういう思いのバトンを託せる方だと間違いなく思いました。なので、自分のできることはサポートさせてもらいたいなと思いました。
木村:大の大人が話すことですか(笑)。
早川:前例がないことにチャレンジするというのが、最高ですよね。
自分で道をつくる。そもそもプロ野球選手の方がクリケットに転身というのが世界ではじめてだったことにも関わらず、世界最高峰のインドのプレミアリーグに行くぞ、と旗をあげたのは並大抵のことじゃないですし、それを言葉にして言ったというのがすごい。今まで誰もやったことがないことにチャレンジする というところに共感し、応援したいと思いました。
「全部あなたが決めなさい」という母からの教育
Q、お2人の「挑戦する心」「自分で自分の道を作る姿勢」の原点は?
木村:おかんになります。男ということもあるかもしれませんが、おかんは自分を子供扱いしませんでした。大人の話も「ちゃんと聴いとき!」と言うような、そういう親でした。親の考えもちゃんと教育してもらったことがまず一つ。あと、「全部あなたが決めなさい。」という教育でした。「やめるやめないとか、やるやらないは、まず、あなたが決めなさい。」と、「あなたが全て決めて、全てあなたのせい、あなたの結果、そこに対しての応援はするけれども」。という感じでした。誰かが言ったからやるとかじゃなくて、自分の心に動いたものを自分で決める。いやいややらされた人生は送って来てはいないと思います。何かを選ぶのも・選ばされる状況をつくっているのも自分。招いているのも自分。自分の人生なので、自分の行こうとする道を自分で決めていく。「ココロは体を動かす」という言葉をトレーナーからいただいて、そうだなと思いました。今の自分はその言葉の塊になっている状態です。
「早川いけるか?」「いけません!」
早川:僕の原点は、高校の時の挫折とコンプレックスです。高校生3年生の時、千葉県の成田高校野球部の二番手ピッチャーでした。一番手はプロ野球注目選手でした。僕は控えだったんです。最後の大会、相手は強豪の習志野高校でした。8回ぐらいでエースが急に崩れたんです。その時、監督が「早川いけるか?」と僕にベンチで声をかけてきました。そのとき僕はなんと言ったかというと、「いけません!」と言ってしまったんです。あの時、僕の中で逃げていた、怖かったんでしょうね。エースが投げているから自分には当事者意識がなかったところもあるし、そこで「いけません!」と行った弱い自分がました。結果的に、その試合は負けてしまったんです。そこで僕の高校野球は終わってしまいすごく後悔しました。なぜあの時「いけます!」と言わなかったのか、自分の弱さに後悔しました。それで自分を変えたいと思っていた時にある日、父親から「アメリカの大学に行くという選択肢があるけどどう思う?」と聞かれて、その道があることを教えてもらって、それで一回下見に行こうという事で、シアトルマリナーズの試合を見に行ったり、アメリカの雰囲気を味わって、その時アメリカってすごいなってすごく感動したんです。マリナーズの試合を見に行った時に佐々木さんが最後クローザーでしめたんですよ。その翌日にシアトルを歩いていたら、偶然にばったり佐々木さんに会って、その時「僕もアメリカで野球をやりたいです!」と話して握手してもらったという経緯があって。これはアメリカに行くという運命なのかなと思って。それでアメリカに行こうと決めました。その時の時代背景はワールドトレードセンターに飛行機が突撃した911アメリカ同時多発テロが起きた時代でした。周りの選手からは「早川何しにいくの?」や「大丈夫か?」という声をたくさん頂きました。英語も出来ないし、体も小さいですし、自分がいた高校からは「日本から逃亡するんだ」とレッテルを貼られていました。日本の大学からはいくつか推薦をもらっていましたが、全て蹴ってアメリカに行ってみたいと思ったんです。この経験をビジネスの世界でも体現したいなと思っているというのが現状です。
やりたいことなので、挑戦という言葉ですらない。
Q、なぜ、挑戦を続けられているのですか?
早川:単純に感情的な話だと「それが楽しいから」ということがあります。挑戦することで自分の生き方が楽しいんだろうなと。何かあった時には難しい方を選ぶ。何かしら新しいことをやったりとか、みんながやらないことに目をつけたりとか、完全に性格になってしまっている。そういう感じです。
木村:それしかしてきてないから。
上手くなりたいと思ったら練習するでしょ?上手くなりたい、バカにされたくない、バカにされてきたし、それを覆(くつがえ)してやろう思ってやってきたので、甲子園とか大学でプロになる為にやってきて、そしてプロになりました。プロになったら終わりじゃなくて、試合に出たいとか、一軍で活躍したいとか思うようになりますが、これは自分がやりたいことなので、挑戦という言葉ではないですよね。常にそれでしか生きてきていないないんです。好きなゲームに没頭しているという感覚に近いです。好きなゲームをクリアしたい。(どんな時でも)それしかしていない。もちろんリラックスもしているけど、僕の人生の中で野球は終わってしまった、終わらせて選んだ道ですけど、クリケットが出てきてくれたことがまず僕(の巡り合わせ・縁)はすごいと思っています。野球ほどの同じ情熱を傾けられるものは、なかなかないじゃないですか。だから(クリケットが)出てきてくれたことにも感謝だし、多分それも僕が自分で招いているんですけど、だからそこに没頭するのも当然で、ありがたいなという気持ちです。でも新しいこと、知らないことをやるわけなので、「じゃあ知っている人とか、助けてくれる方の力を借りないとこれはあかんな。」ということで、思いっきり周りの人を巻き込んでいると思います!だから、早川さんは巻き込み事故にあっていますよ(笑)。
早川:良い、巻き込まれ方です。こうやって、思いを広げていかないとね。
人種、国境、言葉すらも超えられるコミュニケーションツール
Q、スポーツの力とは?
木村:人種とか国境を全部超えられますよね。言葉も超えられる感じ。野球というのも共通言語になるし、クリケットも共通言語になり得る。僕ほぼ英語も喋れない。なんとなく聴けるようになってきた。クリケットやっているから伝わったりとかする。本当に大きいです。今コロナ禍で結局スポーツっていらないじゃないですか。スポーツでお腹いっぱいにならないですし。スポーツを観ることで、観戦する方々自身に、お金が生まれるわけではないじゃないですか。でも、エンターテイメントは望まれている。ということはスポーツは人にとって活力になるものであるということ。それは食べること以外活力を見出せない動物にはないものですよね。人間にはスポーツを活力にする知能があるんです。心のバランスって大事で、それを作ることができるスポーツの力は大きいと思います。
早川:非言語化コミュニケーション。そもそも言葉も数千年のスパンの中で発展してきたと言われていますよね。本来人間が感性や共感することって言葉じゃなかったりとか、非言語のコミュニケーションが大きいと思うんです。だから他の国でも人種でもそういった一緒にやっているスポーツを共有して友達感覚とか仲間意識ができたりするものなんだなと感じます。アートも歌もなくならずに、残っていますよね。やはりそれだけ残っているのは、それだけ人間にとって必要なツールなんだと思います。
一緒に夢を追いかける、仲間
Q、早川さんにとって、木村さんにとって「ストライダーズ」とは?
早川:言葉にするならば、夢を形にする場所。そういうイメージが8割です。そういう企業であり、個人であり、いろんな方々と夢を語り合いチームを作りたい、そしてそれを具現化したいです。
木村:早川さんと同じで、一緒に夢を追いかけてもらえる仲間かな。そういう企業です。
早川・木村:これ、恥ずかしいですね。(照)