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来間 弘樹選手

エディタV2


来間弘樹 Koki Kuruma
島根県出身。
順天堂大学在学中は、2017年台湾国際室内棒高跳選手権大会7位、第96回関東学生陸上競技対校選手権大会優勝、第101回日本選手権陸上6位、第86回日本学生陸上競技対校選手権大会3位などの成績を収めた。卒業後、2018年に株式会社ストライダーズに入社。第67回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会3位などの成績を収める。現在は、2021年東京オリンピック、2024年パリオリンピック出場を目指している。

 

弊社では、2018年からアスリートの支援活動を行っております。真摯にスポーツに取り組む社員の応援を通じ、社員と組織の一体感の創出を行っております。その1人が来間弘樹選手です。専門競技である棒高跳びが、当社の社名に込められている「困難に立ち向かう」・「障害を越えていく」という意思を想起させることから、来間選手の活躍に刺激を受け、社員・組織もより高みへ挑んでいく気持ちを常に持ち、企業としても更なる成長に向かって尽力しております。今回は、入社3年目を迎える来間弘樹選手と共に「Over your stride」(=翔べ)をテーマに対談とインタビューを行いました。

企業ロゴから発想した、運命の出逢い。

Q、お二人の出会いのきっかけとその時の第一印象を教えてください

早川:出逢いは、「アスナビ」というオリンピック委員会が運営しているアスリートの就職斡旋サポートを行っている会社を通じて僕たちは出逢ったんです。ストライダーズのロゴって、右肩上がりに上がっているよね。棒高跳とすごく親和性ありそうだよね。” そんな発想から、アスナビで棒高跳のアスリートを探してみて、来間くんの名前があったので面談を、という流れでした。

Q、早川さんから、来間さんに抱いた第一印象は。
早川:真面目な好青年というのが第一印象です。会社の会議室に入ってきて、まだ大学生で初々しさが残っていてすごく真面目で、私の質問に対してもしっかりと答えていましたし、好青年だなっていうのが印象でした。

はじめから感じた、「自分と同じ空気」。

Q、来間さんからの早川さんの第一印象は。
来間:最初にお会いした瞬間に「自分と同じ空気」を感じました。「スポーツマンっぽいな」という印象もすごくありました。話す言葉は、とてもはっきり喋られていましたし、声も大きめでした。対話させていただく時間を通じて、”すごく熱そうな(情熱的な)人だな”というのが第一印象でした。

Q、早川さんが来間さんをストライダーズの仲間として選ばれた理由は

早川:棒高跳びは全くの素人で分からないんですけど、「棒高跳びは身長が高い方が有利だし、そういった選手と比較した時に自分はそこまで恵まれていないんです。だけど空中での動作上の技術でしたり、ポールの技術でしたり、違う部分でぼくの特徴があるんです。」といったようなことを話してくれて、本当にこの来間という選手は自分のことをよく分析してるなって思いました。

また、来間君は
高校の時から「練習日誌」を書き続けていると話してくれました。自分に足りないものがあるからこそ、改善してよくなろうという、本当に成長したい意欲を感じたのが、私が彼を仲間にしたいと思った理由でした。



空中の「
 GIANT KILLING 」になる。

早川:「 GIANT KILLING 」という言葉があって、「番狂わせを起こす」とか「小さい者が大物を仕留める」といった意味なんですが、やっぱり大きい選手を倒していきたいという言葉を面談の際に来間君は話していました。それは自分の野球人生を振り返ってみると同じことが言えました。私が、米国に行った時のことなんですが、やはり周囲はすごく大きい選手ばっかりでして、その中で本当に体も小さくて、劣等感があったんです。だけどそんなことは関係なく、グラウンドで結果を出したらみんなが認めてくれる経験というのも自分の中でもあったので、多分同じような経験を、来間君もしてきたんじゃないかなと思いました。いろんな部分で共感出来ることがあったのが大きかったです。その中で、来間君は自分の言葉で、夢・挑戦したいことを語ってくれました。今お話しさせていただいたような様々な「同じ空気」を通じて、夢・挑戦の応援をさせてもらいたいという気持ちになったのが大きかったですね。私はこの彼と一緒に夢を追いかけたいなって思いました。

悔しさを経て、出逢った「棒高跳び」という競技


Q、来間さんの挑戦心(チャレンジスピリット)はどこで育まれたのでしょうか。
来間:両親共、小学校の先生です。真面目な家庭で育ちました。二人ともプロではないんですけどスポーツは好きで、習い事のサッカーや水泳など色々やらせてもらいました。試行錯誤したんですけど、それらのスポーツでは思ったような活躍ができませんでした。そんな中で、通っていた小学校での陸上大会でその時は走り高跳びだったんですけど、市の大会で優勝することができて、そのことをきっかけに中学校では陸上部に入部しました。自分の体が小さいことでやはり周囲からは不利だと思われてはいたんですけど、市の総体や他の大会で活躍した時に、先生もすごく喜んでくれました。あとは自分が棒高跳びというものを通して認められ始めたということ自体が、「挑戦する心」に繋がっていると思います。

棒高跳びは、陸上スポーツの中で最強競技のひとつ

Q、早川さんは、来間さんの練習を見に行かれたことはありますか。

早川:はい。あります。競技場まで行き、練習も中山(弊社社員教育研修担当)と見に行っていますし、大会も見に行っています。棒高跳び、めちゃくちゃ大変なんですよ。まず助走をして、ポールを立てて、空中でくるっと回転して5m~ 6mの高い バーを越えるという競技なんですけど、これは、陸上スポーツの中でも最強の競技だなって思うぐらい、体のバランスやいろんな筋肉が必要になってくると思いました。だから初めてこの競技を間近で見た時に、この競技は奥が深いなと思ったのが最初の印象でした。

内に秘めたる、個性



Q、早川さんからみて、来間さんの個性はどんな部分にあると感じますか。
早川:棒高跳びは、走る時に「行きまーす!」と大きな声を出す選手、何も言わずに走り始める選手がいるんです。来間君は後者(何も言わずに走り始める)なんですが、最後に跳んだ時に、空中でガッツポーズをしていました。そんなシーンを見て、来間君には内なる想い・熱意、自分を出そうという気持ちがあるというのを感じました。そういった部分に、彼の個性があるのではないかなと思いますね。

Q、夢のために今おこなっていることは、ありますか。
来間:(コロナウイルスの影響で、世界的にさまざまな活動が自粛されていった中で)練習が思うようにいかない状況でした。なぜだ?という疑問と不安や不満がありました。けれど、それでは何も生まれない。それよりも「今できることを、やろう」と思いました。実際には、坂道ダッシュですとか、単純で苦手な走る練習をしたりしています。でも、「自分が今できることをひたすらやる。単純で面白さがあるわけではない。でも、それがいつか夢につながっている」と自分に言い聞かせながら過ごしました。結果的に、コロナ禍は自分と向き合うとても良いチャンスになりました。

ストライダーズは、家族。棒高跳びは、自分を表現する場。
Q、来間さんにとって、ストライダーズとは、棒高跳びとは。
来間:ストライダーズは、自分の中で家族みたいな存在。自分を一番応援してくれる存在。そんな存在なので、そのためにも頑張りたいです。自分が頑張ることで、影響を与えることが出来る。負けても、勝っても、報告して、みんなで悔しがれる。(棒高跳びは)自分の中で一番大きい存在。やっぱり12年間、自分の人生の半分の時間を捧げてきましたので、「軸」となってる場所ですし、自分を表現する場でもあるので、棒高跳びが自分の価値と言っても過言ではないと思います。


翔ぶことを通して、夢を与える存在に。

Q、選手としての目標はオリンピック出場。社会人としての目標を教えて下さい。

来間:競技に繋がってしまうんですけど、自分は、「不利な状況から挑戦をしている」と思っています。大学4年生の時の大会で、その時ランキング1位の選手は身長も192センチあって、誰しも “その選手が勝つだろう“と思っていました。ただ自分と自分の大学の仲間たちは、自分が優勝すると信じてくれていて、実際に優勝できたんです。仲間たちやその他の背が小さい選手たちにも「不利な状況でも負けない、勝てるんだよ」ということを伝えたいので、競技を通して社会貢献をしたい。何より夢を与えられたらいいなと思っています。